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昔のワシントンハイツ(現 代々木公園&青少年スポーツ総合センター)と明治神宮




                             ワシントンハイツ入り口




 小田急線代々木八幡駅から渋谷方面を眺めると、左は代々木公園の台地、右は上原の台地、その狭間を宇田川が流れ、その流れに沿って代々木八幡駅から渋谷に通じる道。
関東大震災(大正12年9月)以降、この辺りには、渋谷方面から震災の被害にあった人や、渋谷の郊外に居をかまえる人などが多く集まり、人家や商店が増え始めた。いつしかその道に市営代々木乗合自動車が走り、渋谷との交通が開けると(大正13年)その後東横バスとなり、やがて街としてにぎやかになっていったのである。
東京市豐多摩群代々幡町大字代々木字深町
昭和7年に区制がひかれ、東京市渋谷区代々木深町
昭和36年、住所表示の変更により深町の名は消えて久しい。当時(昭和8年頃〜20年5月)この付近には宇田川の支流の小さな水路があり、それに沿った道路には左右に多くの横町があった。そして、その横町からは枝分かれした路地があった。秘密の近道といわれた懐
かしい小道である。
当時小田急代々木八幡駅の踏切には、踏切番という人が小屋にいて、電車が行き来するたびに、小屋から出てきて遮断機を上げ下げしていたものだ。それ以前に私が見た踏み切りといえば、レールが
引いてあり、鉄製の戸を引き戸のような重い戸を押しながら、開け閉めをするものであった。
代々木八幡駅のならびに田中の豆屋さんがあり、店の奥ではかごに豆を入れ、下から火を焚いて、ゆっさゆっさとかごを動かすと、その度に香ばしい匂いがしていた。
隣は広いガレージで、東横バス(現在の東急)の折り返しの車庫、もう一つの路線は初台まで行って帰ってきた。よく時間待ちをする
運転手さんと、女の車掌さんが休んでいると、顔なじみになる人などもいた。
折り返し広場の隣道をはさんで、橋谷洋服店ウインドウがあり、人台に背広を着せた洒落た店であった。
そこを左に折れ、横丁をずっと入ると、左側に紅梅焼屋の店、右へ折れずにかまわず細い路地を入ると宇田川の支流河骨川にぶつかり、左右の住宅の人々は川に板を渡して行き来していた。
その道は、代々木の練兵場の下の道につながっている。(今は小公園旧道)山手通りの工事が始まった時、代々木八幡の駅前は、大変な様子をしていた。宇田川が蛇行していたので現在の橋脚の下に川を流すため、深く掘り下げ、又小田急線の上に橋をかけるため盛
土をする。道はぐじゃぐじゃ、雨が降ると田んぼのようであった。
又、そこにあった商店。平田家具やをはじめとする10軒程が立ち退いた。
川は池のように水がたまり、ある冬の寒い時は、新聞の集金をしている子が、集金鞄を落としたと言って、冷たい水の中で泣きなが
らさがしており、子供心にも哀れに思ったことを思い出す。
その前後の夏の夕方になると、その水面に大型とんぼのギン・ヤンマ・チャンが群れをなして飛び交い、遊びの少ないこの時代に大人も子供も、もち竿をふって赤い夕焼けの中でにぎわい楽しんでいた.

                        つづく
                        富ヶ谷一丁目通り商店会
                        富澤 信義



昭和38年の上空から見た富ヶ谷1丁目商店会附近


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